菜種の里(なたねのさと)
煉切製
菜の花と呼ばれる植物には多くの種類があり、
中でもアブラナは菜種とも呼ばれ、
種子から菜種油を採取し、その搾りかす(油かす)は肥料にします。
1960年代までは、水田の裏作としてよく栽培されていたため、
田園地帯の菜の花畑は、ごく普通に見られる光景でした。
ところが高度経済成長期以降、
菜種油はほとんど輸入でまかなわれるようになってしまい、
「菜の花や 月は東に 日は西に」
と、与謝蕪村が詠った景色を日常の中で目にすることは、
もうほとんどなくなってしまいました。
現在各地で人気を集めている菜の花畑は、
景観植物として観光用に栽培されるものがほとんどですが、
なかには、環境に優しい油糧植物として、
再び栽培が促進されている地域もあるそうです。
茶道の世界では、茶花やお菓子に菜の花を扱うのは、
「利休忌」を過ぎてから、という決まりがあります。
この「利休忌」というのは、天正19年(1591年)2月28日、
千利休が豊臣秀吉の命により切腹したことから、
毎年、今の暦に当てはめて表千家は3月27日、裏千家は3月28日に、
利休の肖像と菜の花を飾り遺徳を偲ぶ、というものです。
これは、死に臨む利休が最後に目にしたのが菜種であったからとか、
自刃当日に利休自ら菜の花を活けたからとか、
諸説あって真偽のほどは定かではありませんが、
茶家にとって大変重要な行事の一つではあります。